「世界史」と聞くと、どんなイメージを浮かべますか?
「大学受験でいるものでしょ」 「国がたくさんでてきてややこしい」 「中国の王朝変わりすぎ・・・」
そうなんです。世界史の最大の特徴は、「登場人物や国が多すぎる」ということです。
しかし、この一見ネガティブでしかない特徴、実は日本の歴史を理解するためのこの上ないヒントになるのです。さらに言うと、中学社会で必要な世界史の知識は、中国やアメリカ、イギリスなどいまでも世界の中心的な存在である国々のみです。
今回は、その中でも、あらゆる時代で日本と関係のあった中国を題材に日本史と世界史の両方の視点から考えてみたいと思います。
日本の時代と対応して中国の王朝を覚えよう!
日本の時代区分、みなさん覚えていますよね? 時代区分はわかっても、どんな時代か一言で言えますか?実は どんな時代も、日本と中国は浅からぬ縁でつながっているのです。
飛鳥時代や奈良時代は、隋や唐にならい、天皇中心の律令国家をめざした時代でした。 平安時代は遣唐使が停止され、鎌倉時代は元寇をきっかけに「御恩と奉公」の関係が崩れて滅亡にいたります。 室町時代は明と勘合貿易をしましたし、安土桃山時代後期には朝鮮出兵もあり、のちの有田焼などの文化にも影響を与えています。 江戸時代には中国は明から清にかわり、鎖国体制の中オランダと並んでたった2つの貿易国でした。明治以降は、日清戦争があり、日露戦争以後は、清王朝が崩壊し、中華民国となって第二次世界大戦では日本と戦争をしました。そして第二次世界大戦後は中華人民共和国が成立し、ソ連とともに社会主義の国家として20世紀後半の世界の中心的存在になっていきました。
このように、中国は、王朝が変わりながらも、常に日本を刺激し続ける存在だったわけです。
中国、激動の4000年史
一見、中国は日本に大きな影響を与え続けた国家に思えますが、他民族による支配を受けた時期もありました。 中国という地域は、他の地域と地続きである以上、常に侵略や侵入の脅威にさらされていました。だからこそ、秦の時代には「万里の長城」が防御壁として建設されたのです。
しかし、もともと暮らしていた民族だけで支配を続けられるほど、中国も強固ではありませんでした。
唐時代から清王朝成立まで
唐の時代には、「シルクロード」と呼ばれるヨーロッパまでの交易路が存在するなど、人・文化の交流地点として栄えましたが、それは同時に簡単に他民族による進入を許してしまうという欠点でもありました。 事実、モンゴル民族が元をつくり、満州族は清を作りました。
清時代から中華人民共和国の成立まで
清は19世紀後半にヨーロッパで中心的であった帝国主義国家による進入を許し、その流れに逆らえず最後は辛亥革命によって滅んでしまいました。 その後中華民国が成立しますが、第一次世界大戦後にロシア帝国の代わりに成立したソビエト連邦の影響をうけた社会主義の考えが広がり、中華民国のなかでの意見の対立が起こりました。
世界恐慌以降、満州国を建設するなど中国進出を進めた日本との対立時には一致団結で戦争へと突入しましたが、戦後は社会主義国家である中華人民共和国が成立しました。
このように、中国はさまざまな人々が主人公となり、他国の進入も受けながら、4000年の歴史を紡いできたのです。
日本との関係
受験勉強における「日中関係」で最も混乱続出なのは、まちがいなく近現代でしょう。
整理しておくと、明治時代以降の中国は「清→中華民国→中華人民共和国」の順番です。 切り替わるタイミングは、
「清→中華民国」は日露戦争から第一次世界大戦の間
「中華民国→中華人民共和国」は第二次世界大戦後
です。
これを押さえれば、日清戦争=「清はもう終わりかけ、弱い時期に日本が戦争して勝った」、日中戦争=「中華民国が一致団結で対抗してきた戦争、日本は負けた」と理解できます。また、日本が明治以降関わったすべての戦争の時系列的な位置づけも、中国とセットにすればスッキリ整理できますね!
世界史をちょっと学ぶだけで、日本の歴史の見方が変わる どうでしたか?参考書でパッとながめれば、単なる箇条書きだったものが、背景にある2つのストーリーで生き生きとしましたね。
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